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help リーダーに追加 RSS 器楽的幻覚

<<   作成日時 : 2008/04/17 21:52   >>

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20代の頃、繰り返し読んだ梶井基次郎の文庫本は、今では表紙も無くなって自分の手で補修したのが残っています。既に半世紀の年月を過ぎていますのですっかり古くなり、本文用紙も写真をご覧ようにページを繰るとぽろっと剥げ落ちそうに脆くなっています。でもこの本を今も大切にしているのは發表当時のままの旧かな遣いであることです。


 「ある秋仏蘭西から来た年若い洋琴家がその国の伝統的な技巧で豊富な数の楽曲を冬
 にかけて演奏して行ったことがあった。そのなかには独逸の古典的な曲目もあったが、
 これまで噂ばかりで稀にしか聴けなかった多くの仏蘭西系統の作品が齎されていた。
 私が聴いたのは何週間にも亙る六回の連続音楽会であったが、それはホテルのホール
 が会場だったので聴衆も少なく、そのため静かなこんもりした感じで聴くことが出来た。」

上の文章は「器楽的幻覚」という1927年に発表された作品の書き出しの部分です。彼はその2年前の1925年(大正14年)、伝説的な富豪、薩摩治郎八の招聘により来日したフランスのピアニスト、ジル=マルシェックスが帝国ホテルのホールにおいて10月10日から11月1日までの間に開催した6回に亘る演奏会のすべてに通ったのです。マルシェックスがそこで弾いた曲目は実に多彩で、日本初演の曲も33曲と多く大層魅力に溢れたものでした。特にフランスものはリュリ、ラモー、クープラン、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、サティーなどなど好事家の人たちを楽しませるのに十分でした。ドイツものもバッハや、ベートーヴェンの後期のソナタも含め、ロマン派を中心に、ショパン、リストもありで本当によくも弾いたりと思うくらい精力的に弾いているのです。彼はその時まだ31歳でした。同じ時期に、宿泊中のホテルでフランスへの留学を思案中の当時13歳の原智恵子親子に会って彼女の演奏を聴き、パリ留学の相談に乗ったりもしているのです。梶井基次郎はその音楽会に行き演奏を心行くばかりに聴いただけでしょうから、自分の周りで起きていることなどおそらく知る由もなかったでしょう。この小説を読む私たちもここでフランスから来たピアニストは誰だったのかということを気にさえ留めなければ、それで済むのに余計なことを考えたために、この見えない糸は今年生誕100年を迎えたカラヤンにまで繋がっていくのですから、この間80年の時間に詰まった事象の一つを掘り下げて見ると結構面白くなっていくのです。そこでもう少しこの迷宮の中をさまよって見ることにいたしましょう。この演奏会には基次郎のほかにもう一人の青年が聴きに通って来ておりました。その人の名は松平頼則、徳川家の血を受け継ぐ水戸徳川家から分れた常陸松平家の跡継ぎとして東京小石川に1907年に生まれ、当時慶応義塾大学仏文科に籍を置く学生でした。彼が後年作曲家になる契機はこの時の経験が基になったと言われています。彼が1952年に発表した「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」はISCMのコンクールに入選し、国際的なデビューを飾った作品となりました。この曲はカラヤンが指揮した唯一つの日本人作品でもありました。カラヤンが初来日してNHK交響楽団を指揮したのは1954年ですが、この40日間の滞在期間中の最後の演奏になった5月7日、8日、9日に於けるベートーヴェンの第九演奏会の最初の曲目として演奏されたのが、この「主題と変奏」でした。ピアノは内藤芳枝さんでした。この作品は現在ナクソス盤で高関健さん指揮大阪センチュリー交響楽団/野平一郎さん(ピアノ)で聴くことが出来ます。越天楽をテーマに6つの変奏曲と終曲からなった典雅な響きをもった作品です。またマルシェックスには「古き日本の2つの映像(1・吉原帰り)(2・出雲の秋月)」という作品があり現在それは[ジャポニズム〜世界の作曲家の目に映った日本」というCDによって小川典子さんのピアノで美しく弾かれています。まるで草葉の陰にひっそりと咲く花のような小品です。「器楽的幻覚」という題名からも、この顛末の見えざる糸はこのあと何処を彷徨って行こうとするのか、その行方を見定めることは天使にも分からず白い霧の中にあって行方定かでない幻の旅を続けている最中かも知れません。




 

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